活動等

令和4年度大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭

慰霊祭準備

戦後77年となる「令和4年度合同慰霊祭」は、令和2年度から続いているコロナ禍の猛威が、ワクチン接種率の向上とマスク着用、消毒の励行、集会・旅行の制限等の国民の協力により、2月下旬には感染者も減少に転じ、3月21日には全国の蔓延防止措置も解除され、国民生活が正常に復しつつある中で実施要領の検討を開始しました。

その結果、慰霊諸団体代表だけでなく、会員各位にも広く参加を募り慰霊祭を実施すること、直会は感染者がまだ高止まりしており、会場予定の靖國会館も使用できないことから実施しないこととし準備を進めることとなりました。

例年7月上旬は、梅雨末期の集中豪雨の時期で、天候不順が予想されましたが、今年は例年よりも早く6月27日には梅雨が明け、雨よりも高温による熱中症の方が心配されました。
また、国内では慰霊祭直後の7月10日に参議院議員選挙があるので参列者への影響が心配されました。

一方、国外では2月24日にロシア軍が大挙してウクライナに侵攻を開始しましたが、ウクライナ軍の頑強な抵抗に遭い、戦況は長期戦の様相を呈し、ウクライナを支援する米欧日陣営とロシアを支援する露中陣営との間で世界が2分され、国連もロシアの拒否権発動で動きがとれない状況にあります。


式 典

このような中で実施された慰霊祭は、好天に恵まれ気温はぐんぐん上昇しましたが、風通しの良い靖國神社社殿は涼やかで熱中症の心配はありませんでした。

式典は、慰霊諸団体代表を始め,参加を希望された会員等64名が参列し正午に開始されました。  神職の司会でトランペットによる国歌吹奏(コロナ感染を考慮し斉唱はなし)に始まり、修祓の儀、献饌の儀、祝詞奏上と神儀が進められました。祝詞奏上においては、慰霊諸団体合同主催の趣旨に鑑み夫々の団体の戦没者への思いを込めて、協議会参加全団体名が奏上されました。

次いで島村宜伸協議会会長が協議会参加諸団体を代表して次掲の祭文を奏上し、今後も慰霊諸団体と連携し戦没者慰霊の永続に努力することを誓いました。

なお、本慰霊祭には参列できないが在宅のまま靖國神社に向かい参拝したいとの申し出と共に玉串料をお寄せいただいた百二十余名の在宅参拝者の方々は、参列者と共に参拝者名簿に記載し神前に奉納させていただきました。

最後に参列者一同二梯隊に分かれ本殿に昇殿参拝し、参加諸団体代表の玉串奉奠に合わせ拝礼した後、しばしの黙祷で戦没者に慰霊の誠を捧げ、慰霊祭を終了しました。

慰霊祭の時期には収束に向かっていたコロナ変異種オミクロン株による第6波は、より感染力の強い変異種BA.5株に置き換わって第7波となり、7月下旬には一日の感染者が全国で20万人を超える事態となりました。
 また、ロシアのウクライナ侵攻は長期化と共に関係諸国を巻き込み、ロシアの侵略を是とする露中陣営と、ウクライナを支援する米欧日等の陣営に別れ、世界を二分する戦いとなって冷戦後保たれてきた世界秩序の維持が困難な状況にあります。
 この危機に際し、我が国の安全保障政策が御英霊の御導きを得て、「自分の国は自分で守る」という基本に立ち返り、米国に過度に依存してきた「安保条約の片務性」、国是としてきた「専守防衛」、「非核3原則」等の安全保障政策を早急に見直すと共に、これらの根拠となっている憲法についても見直し、我が国の安全保障政策が合理的で分かり易いものになることを慰霊諸団体の皆様と共に祈念したいと思います。

島村会長の祭文奏上

堀田和夫(右)・牟田春雄両氏による国歌吹奏


祭 文

令和四年度大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭を挙行するに当たり、戦没者慰霊諸団体を代表して、謹んで全戦没者の御霊に慰霊の言葉を捧げます。

大東亜戦争においては、多くの皆様が、祖国と同胞の安寧を願い、アジアの解放と繁栄を実現すべく、北は酷寒不毛、南は酷暑瘴癘の地に赴き、勇戦敢闘して二百三十数万余柱に及ぶ皆様が散華されました。家族を故郷に残し、散って逝かれた皆様方のご無念と、ご遺族の悲痛に思いを致す時、今なお万感胸に迫るものがあります。今日の我が国、国民が享受する豊かで平和な生活とアジア諸民族の独立と発展は、皆様方の献身が礎石となって築かれたものであることを忘れることはできません。

しかしながら、平和と繁栄が続いた七十七年という長い歳月が経過し、皆様とともに戦い我々を導いてくださった戦友の方々も徐々に数少なくなる中で戦没者に対する国民の慰霊と感謝の思い、先人が遺された我が国古来の伝統的美徳が風化しつつあることが憂慮されます。

私ども大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会は、戦没者慰霊諸団体と相携えて、戦没者慰霊事業の永続と、それを通じての国民道義の作興に寄与することを目的としております。あの夏の暑い日から四分の三世紀が過ぎた今こそ、大東亜戦争の国難に敢然と立ち向かわれた皆様方の勇気と献身を、そして生き残った戦友が皆様のご加護を得て懸命に成し遂げた戦後の奇跡の復興を思い起こし、正しい歴史と崇高な精神の継承をはかり先人から託されたこの美わしい国の平和と繁栄に邁進すべく覚悟を新たにするものであります。

また、百十数万余柱に及ぶ未だご帰還を果たされていない戦没者のご遺骨のご帰還についても、遺骨収集事業に携わる体制の一員として、お一人でも多くの方々に故国にお帰りいただけるよう全力を尽くして参ります。

大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭に際し、戦没者慰霊諸団体の各位と共にご霊前に額づき、在天の御霊の安らかならんことをお祈り申し上げます。併せて、新型コロナウイルスという新たな脅威に敢然と立ち向かうとともにロシアによるウクライナ侵攻という暴挙に自由主義諸国の一環として経済制裁等を中心とする措置により平和の回復、維持に鋭意努力を傾注している私どもになお一層のご加護とお導きを賜りますことを冀って慰霊の言葉と致します。

令和四年七月九日
戦没者慰霊諸団体を代表して
公益財団法人
大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会

会長 島村 宜伸

協議会設立総会

平成17年2月4日発起人代表者瀬島龍三氏以下14名による設立総会が、千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会会議室で開催された。

この日、設立発起人全員が参加し真剣にこの協議会の設立について意見を交換し、寄附行為の一部修正(字句修正)を行い、 12時過ぎ会議を終了した。

設立発起人は次の14氏で構成されていた。

  • 瀬島 龍三
  • 堀江 正夫
  • 新庄 鷹義
  • 岩下 邦雄
  • 齋須 重一
  • 秋上 眞一
  • 菅原 道熙
  • 宮崎 忠夫
  • 福田 一彌
  • 小西 岑生
  • 植田  弘
  • 諏佐 道太郎
  • 小田原 健児
  • 竹之下 和雄

設立総会で協議会設立の基本的条件が整ったことを受け、監督官庁(厚生労働省)に設立申請書が提出されることとなった。

協議会発足、第1回理事会・第1回評議員会

協議会第1回理事会

協議会第1回理事会

大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会は平成17年7月7日、厚生労働大臣から設立許可証を受領し て発足の運びとなった。

協議会では、早速、7月15日に第1回理事会を開催して、名誉総裁、顧問、相談役、参与、評議員等の人事を決定すると 共に、協議会運営に必要な諸規則の制定等の議決を行った。

また、8月10日開催する全戦没者合同慰霊祭の実施要領について意見交換を行い13:00頃閉会した。

協議会第1回評議員会

協議会第1回評議員会

本協議会は、第1回理事会(7月15日)に引き続き7月22日(金)第1回評議員会を開催した。

この評議員会では、本協議会設立についての昨年来の経過を報告し、協議会の事業内容及び近く8月10日に実施予定の 終戦60周年記念全戦没者合同慰霊祭について報告を行い、評議員の皆さんの了承を得た。

終戦60周年記念全戦没者合同慰霊祭

平成17年8月10日12:00から靖国神社において(財)大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会主催の「終戦60周年記念 大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭」が、三笠宮殿下御臨席の下で催行された。

この慰霊祭には、(財)偕行社、(財)水交会、(財)千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会、(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会、 (財)太平洋戦争戦没者慰霊協会、(財)海原会、海交会、興亜観音を守る会、JYMA等の各団体が賛助団体として参加し、 参加者は各団体から約250名が参集する盛大な慰霊祭となった。

慰霊祭に先立ち、三笠宮崇仁親王殿下に当協議会の名誉総裁をお願い申し上げる「名誉総裁推戴の儀」が参集殿で執り行われた。
殿下はこの席で、時代が移り変わっても戦没者 への崇敬・慰霊・顕彰の事業に貢献されるようにとのお言葉を賜った。

お言葉を賜る三笠宮殿下

お言葉を賜る三笠宮殿下

引き続き、参列者一同は拝殿に進み、慰霊式典が執り行われた。式典の最後に一同は本殿に進み昇殿参拝を行って戦没者のご冥福をお祈りした。

拝殿での慰霊祭式典

拝殿での慰霊祭式典

慰霊式典の後、靖国会館2階で直会が行われ、瀬島会長、南部宮司の挨拶についで、世田谷コールエーデ合唱団の皆さんの合唱の御奉仕があり、戦没者追悼にふさわしい行事が続いた。

世田谷コールエーデ合唱団の合唱

世田谷コールエーデ合唱団の合唱

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